「素子さん、本当にかわいいわよ」
ぎくしゃくとした笑みを浮かべる私とは対照的に、それこそこぼれんばかりの微笑みをたたえて、江梨子さんはオーガンジーのヴェールをさらりと撫でた。
家の造りと言い小笠原家のお祖母さんと言い、この家は何かと和風なので、てっきり結婚式は白無垢で神式だろうと思っていたのに、まさかウエディングドレスを着ることになるとは思わなかった。
そんなようなことを江梨子さんに言ったら、
「あら。白無垢でも披露宴でウエディングドレス着れるのよ」と、なんだかピントが合っているのかよく分からない答えが返ってきた。
式を終えた今、晴れた芝生の上、ガーデンパーティのような形でひっきりなしに知らない人が挨拶に訪れる。小笠原家の取引相手とかそんなものなのだろう。
招いた手前、本来なら私たちが挨拶して回るのが筋なのだが、誰かに挨拶をするとすぐに別の方向から『これはこれは…このたびはおめでとうございます』とひっきりなしに別の相手がやって来るおかげで、結局突っ立ったまま様々な人の応対をしなくてはならなくなった。まあ、どうせ最後は出口で一人ずつ見送りすることになるのだし。
私は今日の朝知らされた、一日の段取りを苦労して頭の中から引っ張り出していた。
たぶん、小笠原のおじさんは私たちの式とこの人たちとの顔合わせを兼ねるつもりだったのだ。その意図を読み取った政継は 苦虫をかみつぶしたような顔をしていたが、私は別段嫌だとは思わない。
その人の波がようやくひと段落し、にこやかに笑みを浮かべたまま小声で埒のない言い合いをしていたところへ、ちょうど江梨子さんたち兄夫婦がやって来たのだ。
「やっぱりねえ、迷ったけどこれにして正解だったわ」
連れまわされてぼろぼろになった数日間のうちにそういえば、ドレスの試着やらなにやらもさせられたような気がするが、ほとんど記憶になかった。
隣で笑顔を貼りつかせたまま、すっかり辟易した様子の政継から目をそらす。
そう言えば、義兄の政彦さんの姿が見えない。
「江梨子さん?あの、政彦さんは…」
「政彦ならお話し中」
「え、いいんですか。一緒じゃなくて」
「ええ。仕事の話だから私には全然わからないし、それに私がいても邪魔になるでしょう」
「…そう、ですか」
そういう、ものだろうか。
別に私は政継のことが愛しくて愛しくて結婚したわけではないから(自分で言ってて鳥肌がたちそうだ)それでも構わないかもしれない。
しかし、兄夫婦そろって会ったことはほんの数回しかないけれど、私たちと違ってじゅうぶん仲睦まじそうに見えたし、江梨子さんも政彦さんの仕事に関しては理解がありそうなのに。
「素子さん?」
「……いえ」
夫婦には夫婦にしか分からないことがあるのかもしれない。
いい人ばかりとはいえ、周り中がこの1週間の間に知り合った人だらけと来てはさすがに落ち着かないし、気疲れする。
吐き出しそうになったため息をすんでのところで押し殺した。
「江梨子さん」
不意に耳元から聞こえる低い声。
「ちょっとこいつ連れて行くよ。すぐ戻ってくるから、その間に誰か来たらなんか適当に言っといて」
「もう…。政継君は今日の主役でしょう。早く戻ってらっしゃいね」
「ありがと」
そうやってやり取りする姿はなんだか本当の姉弟のようだなあ、と他人事みたいに見ていたら、
「ぼさっとしてないでさっさと動けって」
肩口を小突かれた。
むっとして政継を睨む。ジェルでセットされた政継の黒髪がわずかに風に揺れていた。
* * *
会場から離れた教会の裏手に細い紫煙がたなびいている。
「あー…生き返る…」
政継のために仕立てられたタキシード、乱れのない髪形。
だというのに、彼はうんこ座りしてゆっくりと煙草をくゆらせていた。
「……どうでもいいけど、ちゃんと携帯灰皿は持ってるんでしょうね」
「あー持ってる持ってる。当たり前だろマナーだからな」
マナーどうこうの前にあんたは未成年だろうが、というセリフは飲み込んで、じろりとねめつけるだけにとどめた。私の視線に気づいた政継がぱちぱちと瞬きをする。
「で?お前は?もういいのか」
「……何が?」
「『今すぐ家に帰りたい』みたいな顔でぶすくれられてたら、いくら俺でも困るんだよ」
「え…」
かっと羞恥で頬が赤くなる。気づかれていた。
きっと政継は私の押し殺したため息に、伏せた眼の力無さに気づいたのだ。確かに気疲れしていたとはいえ、周りにそれを悟らせるぐらいあからさまな顔をしなくてもいいのに、自分と来たら…!
「ま、今日は仕方ねえんじゃねえの。初めてであの人数だと普通は面食らうだろ」
ふうっと煙を吐き出して、火のついた煙草を中指と人差し指で支えている。この1本でまた戻る気なのだろう、ずいぶんとゆっくり吸っていた。ほのかに香るチョコレートの匂い。
政継はもしかして疲れた私を気分転換に連れてきて、慰めているのだろうか、と今の状況を整理してみた。そしてとりあえず言葉に出してみる。
「これは慰めてくれてるの?」
ぶふっ。
むせた。
ごほごほと咳込む政継をのぞきこむ。
「政継?」
「…っの馬鹿!いきなり話しかけんな!」
咳込んだ拍子に彼の手元から煙草が落ちたらしく、言葉通りちゃんともっていた携帯灰皿に未練がましい顔でまだだいぶ葉の残っている煙草を入れた。怒っているのは、私が話しかけたからでなく、私の言ったセリフのせいだということは百も承知だった。
「政継」
「…なに」
「ありがとう」
「……」
人に『ぶすくれた顔するな』とかなんとか言っといて、その時の政継の顔と来たら、ぶすくれているもいいところだった。なんだかそれは、18の男ではなく、悪ガキの小学生が思わぬところで近所のおばあちゃんに褒められたみたいな、なんとも言えない顔だった。
それがずいぶんとかわいい。
私が笑うと政継はずいぶんと怖い顔で睨んでくる。
「…もういいなら、行くぞ。誰かさんのせいでせっかくの1本も駄目になったしな」
「それはどうもすみませんでした」
足早に江梨子さんの元に戻ろうとする政継の後姿を、長いドレスの裾を踏まないようにしながら、慌てて追った。