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夫婦ごっこ

夫婦ごっこ

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 久々に母屋で囲んだ食卓は、なぜだか奇妙な沈黙に包まれていた。

「………」
「………」
「……一体、どうしたって言うんだ。二人は」
 困ったような親父の口調が、しかしどことなく嬉しそうなのは、俺だけでなく、もとだって気づいているだろう。
 親父は最近、もとが絡むこととなるとこんな風になる。
 どんな風かって?
 遅くにできた長女を猫可愛がりする親バカジジイみたいな風に、だ。
 いくら戸籍上は父親になったとはいえ、もともと余所んちの子供だぞ。
 ていうか、俺の嫁だろうがよ。
 俺は、ため息を味噌汁と一緒に飲みこんだ。

 親父と食事、といっても別に普段と違うメニューの夕飯が出されるわけではない。それでも、ついさっき俺ともととの間であったやり取りのせいか、それとも親父がいるせいか、彼女は多少緊張しているようだった。

「キクさんから聞いたところじゃ、最近打ち解けてきたということだったんだがなあ…」
「…知らねえよ」
「……」
 ここで、親父が『こんな息子ですまないね』みたいな苦笑をもとに浮かべて見せた。
 それにもとが愛想笑いでこたえようとして、「あ」と声を上げた。

「素子さん?」
「なんだよ、もと」
 いきなり声を上げたのは自分のくせに、もとは箸を持ったまま思いきりだじろいた。
 それから観念したように、口を開く。
「前から頼もうと思ってたんですけど…、そろそろ離れでのことは自分でいろいろしてみたいと思うんです」
「と、言うと?」
「キクさんが色々とよくしてくれてるし、とても有り難いんですけど、私もここに来て、だいぶ経つので、自分のことは自分ですべきかな、と思いまして。母屋だけじゃなくて離れの掃除やあれやこれやをずっとやってもらうのはキクさんも大変だろうと思うんです。私は幸い部活も何もやってないし朝や放課後も割と時間があるので、もしよければキクさんに教えてもらいながらやっていきたいのですが…どうですか?」
 そこまで言いきると、もとはすうっ、と息を吸った。
「それは…素子さんがそれでいいというなら構わないが…政継?」
「……。お前、わざわざ自分から面倒なこと引き受けるなんて物好きだな」
「それなら、キクさんにも伝えておこう」
 もとの頬が緩んだ。
「助かります」
 何を考えているのか知らないが、とにかく後できいておいた方がいいだろう。
 その場ではそれ以上何も言わず、俺はただ黙々と箸を動かした。


* * *


「で、夕飯の時のあれは何なんだ」
 藍染の浴衣を着て寝室へ戻ったもとは、きょとんとした顔で俺を見下ろしている。
 大抵俺が先に風呂に入るので、もとはこうして後から寝室へやってくることが多い。
膝を揃えて腰を下ろし、いつものようにずるずると自分の布団を手前に引き寄せた。
「何、って?」
「どういうつもりなんだ」
 もとが部屋の電気を消し、布団へ入る。枕元の橙色の灯りに照らされて、もとの頬が赤らんで見えた。
「どういうつもりもないけど。何もかもキクさんにやってもらうのは心苦しいんだよね。一応こっちの離れにだって一通りのものは揃っているわけだし、やろうと思えば自分たちのことは自分でできるでしょう」
 それが当然だというように、彼女はうつぶせになって頬杖をついて支えていた顔を、少しだけ俺の方へ向けた。
「本当にそれだけか」
 いきなり家のことを自分でやる、と言い出すなんて、『あなた自身にはなんの興味もありません』と言い放った彼女らしくないと思ったのだ。
 しかし、こうやって尋ねてみても、もとは怪訝な顔をするばかりだ。
 なんだか俺は、最近こいつを問い詰めてばかりいるな、と思ったら、何故だか笑いが漏れた。
 それを目ざとく見とがめたもとが、眉を寄せる。
「何で笑うの」
「…いや別に。…それにしても、もとはずいぶん貧乏性だな」
 一瞬、意味を測りかねたのか、首を傾げたままじっと俺を見ていたもとだったが、彼女の優秀な脳にようやく言葉が到達したところで、彼女は一気に顔を赤くした。もちろん、怒りのために。
「だから、あんたは世間知らずの坊ちゃんとか言われるの!贅沢を当たり前だと思ってるその態度、いい加減やめなさいよ!!」
「すいませんすいません。反省しました」
「何それ。人を小馬鹿にしたような返事はやめて」
 ふんっ、と鼻息荒く俺に背を向け、彼女は布団をひっかぶった。
 事あるごとに思い出すが、こいつはこれでも俺の一つ下なのだ。
 だというのに、この物言い。
 こうなると、俺がいくら話しかけようと、もう翌朝までうんともすんとも言わないのだ。
 
 本当に変な女だな。
 でもこんな変な女が子供みたいな顔をしたり笑ったりしているのが、俺にとっては落ち着くらしい。
 そっと起き上って、枕もとの灯りに手を伸ばした時、ぽつりと彼女は呟いた。

「………だって私は政継の奥さんなんでしょう」
 布団の奥から。
 聞き逃してしまいそうな声だった。

 ぱちり、と音がして灯りが消えると、静かな暗闇に覆われた。
 そっとひそめた息遣いが二つだけ、聞こえていた。